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『龍が如く』ゲームプロデューサー・名越稔洋氏のインタビュー紹介!ゲーム業界入りのきっかけは挫折から

『ゲーム業界に入ったことは、一種の挫折でしかなかった』

株式会社クリーク・アンド・リバー社が運営する「CREATIVE VILLAGE」のインタビューコーナー「VILLAGE CAFE」で、『龍が如く』シリーズの生みの親、ゲームプロデューサー名越稔洋氏のインタビューが行われました。

龍が如く0 誓いの場所

意外にもゲーム業界に入ったきっかけは「一種の挫折でしかなかった」とのこと。
幾多の困難を、独自の視点とアイデアでくぐり抜けてきたそのストーリーはまさに圧巻。
大胆な発想と、常にユーザーの気持ちを大切にする繊細な哲学が、同氏の言葉に散りばめられています。

 

★インタビュー紹介

幼い頃はゲーム機やPCといったものがまだ無い時代で、漫画をよく読んでいたものの、本はあまり読みませんでした。
その割に文章を書くことが好きで、作文や読書感想文を書くのは嫌いじゃなかったですね。
それが今となって、ゲームのシナリオ制作に応用されている気がします。

学生時代は絵を描いたり工作をしたり、映画を観ることが好きだったので、美術系の大学へ進学して、グラフィックデザインを勉強しつつ、映画の授業を専攻していました。
卒業後は映画の仕事に就きたかったのですが、当時は日本の映画産業がちょうど谷底の頃で、映画業界の就職先が一切なかったんですよ。

当初ゲーム業界で働く気はなかったのですが、美術大学に進学する時点で、人と同じような人生を歩む気もなくて、“クリエイティブな仕事がしたい”という思いでセガというゲーム会社に応募してみたんです。
ゲーム制作については何も知らなかったので、「どうせ受からないだろう」と思っていたら、何故か内定をいただけて驚きましたね。
ただ、コンピューターのコの字も知らなかった分、入社してからは苦労の連続でした。

ゲームというのは、どれだけ遊べるかといったものですから、まずはアクションさせないといけないし、エネルギッシュなものでないとユーザーにも受け入れられない。
またゲームのネタを考えた時に、マス市場で認知が高い割に誰もやったことのないものというのは、必ずヒットするという確信が、僕の中にあったんです。
でも認知度が高いものって、大抵は誰かが既に唾をつけていますからね。
あまり残っていないのが実状なんですよ。

それなら、Vシネマや任侠モノといった、いわゆる“裏社会”はみんな知っている。
でも、ゲーム市場では当時まだ誰も手を付けていなかった。
確立されたジャンルに対しては、マーケットというのがそれぞれ存在するため、その企画を思いついた時点で外れることはないという自信がありました。

ユーザーが抱く、潜在的な欲求にマッチしたのか定かではありませんが、結果『龍が如く』はヒットし、現場も久しぶりに元気や活気を取り戻しました。
ゲームにおいて、新たなジャンルの開拓をしたかったという思いもありましたが、それ以上にセガという一企業の開発員としても、社員のモチベーションを上げたかったんですよね。
自分の道理に外れたことはしなかったので、「やっぱり攻め方次第で結果はついてくる」と、痛切に感じました。

「CREATIVE VILLAGE」より一部抜粋

 

★クリエイター紹介

名越稔洋
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1989年セガ入社後、鈴木裕(AM2研)のもとCGデザイナーとして『バーチャファイター』シリーズの制作などに参加。
1994年初のプロデュース作品『デイトナUSA』を発売し、ドライブゲーム史上に残る大ヒットを記録。
以降も『スパイクアウト』『スカッドレース』など数々のヒット作を手がける。
2005年に大ヒットとなる『龍が如く』を手がけ注目を集める。
以降『龍が如く』シリーズ総合監督として開発に携わり、現在までにシリーズ累計全世界650万本以上のセールスを販売。
2015年3月12日には最新作『龍が如く0 誓いの場所』が発売。

現在は「株式会社セガゲームス 取締役 開発統括本部 統括本部長」「株式会社セガ・インタラクティブ 取締役 開発生産統括本部 統括本部長」。
セガの研究開発部門すべてを統括する、今ゲーム業界で最も注目されるクリエイターのひとり。

 

★ななコメント

誰も手をつけていない分野に挑戦するのは勇気が要ります…!

特にゲームの場合、一つの商品を作るまでにたくさんの人や団体が関わる一大事業なので尚更です。

それでも自信を持って踏み出した名越さんの分析力と決断力は、本当にすばらしいですっ!!

 

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